フランスのグルメ?

アメリカ人には局部的に物知りな人が多くて、私の知らないような食材を使った手料理などでもてなしてくれるのだが、なぜか、日本料理の出汁とかみりんに相当するような、表に出ない、サブリミナルな味付けについての理解がないらしい。まったく味がないな、といつも思う。
料理に関する基本的な勘違いも多く、たとえば、パセリをレタスであるかのように大量に使用したサラダや、茹でたイチゴの混ざった紅茶などを出されたこともある。
フランス人は、「あの人たちには文化がないから」と言っている。
医食同源の伝統を持つ日本人から見て、「ヘルシー」にかんする考え方も間違っているように思う。寒い時期にサラダとかセロリとかトロピカルフルーツを食べているアメリカ人の友達にたいして、たぶんLAだったらそれでもいいのだろうけど、ヨーロッパにいるんだったら、冬の間は体を温める食べ物を食べた方が体にいいよ、とついついお母さんのように世話を焼いてしまう。
その子たちによると、休暇でアメリカに戻って油断しているとすぐに体重が増えてしまうので、生野菜とか果物に頼るようになってしまったらしい。フランスにいる時と同じように食べていても、アメリカの食材にはもともといろいろ悪いものが混ざっているからすぐに太るのだそうだ。TPPによってアメリカの食材が日本国内で流通するようになることを考えるとおそろしい。

モンサントに狙われているのは日本だけではなくて、EU本部のあるブリュッセルにも大勢のハンドラーたちが派遣されているらしいが、自国の農業の保護に莫大な投資をしてきたフランスの食材はまだまともだ。
うちのフランス人の旦那には、手間ひまがかかっても、肉は肉屋、野菜は八百屋、パンはパン屋で買うように言われている。品質はもちろん、その方が経済的でもあるのだが、フランスの小規模な商店はこういう市民の努力によって維持されているように思う。
私と彼には、料理のうまいお母さんに育てられたという共通点があるのだが、うちの母はいちどフランスに様子を見にやって来て、相手方のママンの料理を食べるとすっかり安心してしまい、その後、私は義理の家族に委任され、実の母親からは完全に放置されている。

フランスはグルメの国、というイメージが強いが、本屋にならぶグルメ本/グルメ雑誌の量と種類は、圧倒的に日本の方が多い。(と言うか、フランスの本屋でグルメ雑誌なんて見たことないかも)
フランス人は、いいレストランや食材店の情報は、基本的に友達同士の会話から得ている。
東京など日本の都市に比べて、レストランの流行を創出するのにパリが小さすぎるというのもあるのかも知れないし、フランス人が混んだ店を嫌うのも理由の一つだろう。
そのフランス人がライバル視しているのがイタリア人ツーリストで、そう言われてみれば、パリのおいしい店には必ずイタリア人がいる。

私も日本のグルメ雑誌などは読まない方だが、旅行先ではそういう情報誌が重宝する。いったい、フランス人やイタリア人は情報のない場合、旅行先でどのようにしておいしいレストランを探り当てるのだろう。そういった方法は、実は存在するらしい、、というか、うちの旦那がいつもそれをしている。

具体的にどうしているのかは依然よく分からないが、彼によると、夏の時期はテラス席に客が出ているので、料理の皿をチェックするらしい。
その方法で彼が決めたレストランが、どこかのミシュラン三ツ星の厨房で修行した若い料理人が、試しに週二日だけではじめたばかりの店だったのにはびっくりしてしまった。
じゃあ、冬はどうしているのだろう。去年の11月に行ったローマで彼が決めたトラットリアも最高においしかったのだが、何を基準に見て判断したのかは私にはよく分からなかった。

諸星大二郎の本

サイコジオフィジックスのワークショップに参加するために行ったベルリンで途轍もない寒波に襲われ、そのうえ、着いてすぐに生まれて初めて持ち金ぜんぶとカードの入った財布をなくし、帰りの飛行機もあとわずかで乗り遅れそうになったショックでしばらくブログ更新を怠っていた。
飛行機に乗り遅れそうになったのはお前の責任だろうと言われそうだが、そうではない。
シェーンフェルド空港からベルリン市内をつなぐ電車のダイヤがややこしくて、一日に一便とか、旅行者が知る由もない変な組み方になっていたため、行きと同じ方法で帰ることができないということが予測できなかったせいだ。
あまりにも不運が続いたので、もう不運を使い果たしたというか、今年の残り11ヶ月は安泰に暮らせそうである。

パリに戻った日の晩にノイズのコンサートに行き、財布の件で皆が同情してくれて、ただで入れてくれたり、ドリンクを買ってくれたり、やっとリラックスできた。
翌日、へそくりの日本円を両替に行ったが、レートはもうユーロとほぼ変わらない。一年ぐらい前から両替のレシートは捨てずに保管しているが、レートはうなぎのぼりで、毎度少し儲かった気分になれるので、いつも帰りにオペラのブックオフに寄り道する。
パリのブックオフは日本の店舗に比べて内容がとても良く、掘り出し物が多い。
今回は、ハードカバーの2ユーロコーナーで、「キョウコのキョウは恐怖の恐」という諸星大二郎の初小説を見つけた。

ホラー映画は大好きだけど、ホラー小説はほとんど読まない。怖がらせるのがメインになってしまって、描写が貧弱なものが多いように思えるからだ。その点、諸星大二郎のゆっくりと描いていく異世界の描写はとても効果的で、マンガの方のファンの人たちが気に入るかどうか分からないが、私はとても面白く読めた。日本に対するホームシックというか、郷愁を自分が強く抱いているというのも手伝ってか、「秘仏」に出てくる田舎の寺の感じにも惹き付けられたし、ヨーロッパの紫陽花にはない、あの日本の梅雨時の紫陽花の妖艶な印象もインパクトがあった。
映画の原本としてもいけると思う。

キョウコのキョウは恐怖の恐

キョウコのキョウは恐怖の恐

新興宗教の建築物

MOA美術館(静岡)とミホ・ミュージアム(滋賀)に行ったとき、エレベーターをやたらと登り詰めたり、トンネルをくぐって別世界に行くような建築が、悟りの段階を表現しているような感じで怖かった。
日本にはまだ他にもすごい新興宗教の建築物がある。

霊波之光

陽光子友乃会

立正佼成会

真光教


念佛宗


天理教

PL教団

菊人形の不思議世界

子供の頃、7巻ぐらいがセットになった図鑑が家にあって、好きだったのが「恐竜」と「花」の巻だった。
恐竜のは、ゴジラの着ぐるみをきたお兄さんが頭だけ出している写真が載った横に「怪獣は恐竜じゃない」という説明のある変なページがあったのが強烈だったが、それ以上に印象的だったのが、花の図鑑の中の菊人形のページだった。小さい子供には生首にしか見えない武将と姫君の頭が、波のように広がった菊の上に載っている。「ホラーだ」というのが、幼心に刻み込まれた。

そのトラウマを抱えたまま大人になり、好奇心から、毎年秋になると菊人形展を見に行くようになった。
人形に菊の花の衣装を着せる、という奇抜なアイデアがただただ素晴らしいうえに、庭園や日本家屋のなかに配置された菊人形たちはビジュアル的にも美しい。昼間は可憐だけど、夜中にひとりで見たら、絶対に怖いだろうな。ワンダーJAPANのような雑誌がこの日本の珍風景を特集したり、菊人形系、菊プロイテーションといった新たなホラー映画のサブジャンルが成立してもいいと思う。

菊人形展には必ず菊花展が併催されていて、こっちの方もなかなかすごい。ひと鉢の菊がピラミッドのようにどの花も列ごとに同じ高さから茎を伸ばして、花と花の間の距離もぴったり同じのあの宇宙の幾何学模様みたいなしろものは、多分固有名詞があると思うんだけど、見るたびに新鮮な驚きをおぼえる。
こういう菊の作品(菊細工)を作る人たちを「菊師」というらしい。なんとか師という職業はぜんぶかっこいい。ちなみに菊人形の発祥は江戸時代だそうだ。

私もフランスで菊師になってみたい。フランスだからマリー・アントワネットとかナポレオンに菊の衣装を着せればきっと受けるだろう。一度、フェースブックに菊人形の写真を載せた時は、外国人にもなかなか評判が良かったし。

日本最古の菊人形展、ひらかた市民菊人形の会の人形菊栽培の様子 http://www.eonet.ne.jp/~ryokka/kiku/seizoukatei.html#ninngyougiku201112
人形菊はのべ30種類もあるらしいので、衣装の色彩構成もたのしそう。

ひらかた大菊人形 唯一の人形師、武河さん http://www.eonet.ne.jp/~ryokka/kiku/takekawa.html

華麗 イタリアン・ホラー

ローマ近郊はゴシック様式の城とか、いわくありげなお屋敷とか教会、不気味な雰囲気の寒村とかがたくさんあってロケーションに恵まれているから、良く出来たイタリアのホラー映画は最高におもしろい。
最近見たイタリアン・ホラーに結構いいのがいくつかあったのでメモしておく。

レディ・イポリタの恋人/夢魔
イタリア版エクソシストで、アメリカよりエロチック。70年代によく使われていたチープな特殊効果は、むしろ悪魔憑きのシーンの迫力を高めている。
構図の作り方も絵画的でうまいなあと思ったし、格調高さのなかに病的な雰囲気の漂うデコレーション(廊下に並んでいる胸像の気持ち悪さとか)など、細かい所まで楽しめる。

レディ・イポリタの恋人/夢魔 [DVD]

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リサと悪魔
マリオ・バーヴァ作品。
イタリアの古都観光ツアーに参加した若いアメリカ人女性が迷路のような町に迷い込み、その晩、車が立ち往生して、不気味なお屋敷にたどり着き、説明のつかない悪夢にまきこまれる幻想的ホラー。

アクエリアス
舞台はイタリアではなくアメリカ。
デモンズ95などでダリオ・アルジェントとも関わりの深いミケーレ・ソアビ監督の作品で、低予算だけど中身は充実。

アクエリアス HDリマスター版 [DVD]

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インターネットは意識を変える?

LSDの伝道師、ティモシー・リアリーは、晩年はコンピューターによる脳の再プログラミング(生きるための力を強めたり、自分自身で考えること)の可能性を考えていた。

コンピューターは創造性を高めたり、意識を拡張すると考えていた。 コンピュータはサイケデリック体験を表示するのに適している。 幻覚剤のような精神探索は行えないが、他者とのコミュニケーションのための新しい手段として用いることで人々の意識を深める手助けができると考えていた。(ウィキペディア)

5年ぐらい前、マケドニアで一夏を過ごした。
マケドニアはヨーロッパ最貧国のひとつで、恐ろしく重要そうな遺跡が山中に放置されていたり(アレクサンダー大王時代の代物か・・)、都市部以外では水道が引かれていなかったり(川へ水汲み)、英米やブルガリアから輸入したテレビ番組を吹き替えるお金がなくてそのまま放映されていたり(おかげでマケドニア人はみな外国語堪能だった)、暮らしぶりはとても貧しかったけど、インターネットの恩恵でマケドニアの若年層はみな物知りだった。

日本のテレビはますますろくでもない番組ばかりやってるらしいから、各自がインターネットで見たいものを探り当てる能力を高めるしかないだろう。
私は以下のようなものを見つけると、とてもうれしい。

おもしろいアングラアニメ

ドイツの歌手、ネーナ。レコードは入手できても、ビデオが見れるのはインターネットのおかげ。

DVD化されていない名作カナダホラー映画

フランスのヒゲ女

19世紀の後半頃、フランス ロレーヌ地方のThaon-les-Vosgesという町にクレモンティーヌ・デュレという女がいて、カフェを経営していた。
ある日、カーニバルでひげ女の見せ物を見たクレモンティーヌは、わたしだったらもっと立派なひげが生やせると言い、それはないと答えた夫のポールと500フランの賭けをした。
二週間後、クレモンティーヌはこうなっていた。

男物の服だと男にしか見えない!

クレモンティーヌは名物女となり、カフェは繁盛した。カフェの名前も「ヒゲ女のカフェ」に変えて、肖像写真も販売し、人気と尊敬を集めた。出馬もしていない市長選挙で市民たちがクレモンティーヌの名前を書いて投票するほどの人気ぶりだったという。

ひげ女の起源は、ポンペイ美術館に残っているフラスコ画にまでさかのぼる。
1493年のシュロニック・ド・ニュールンベールのひげ女、16世紀オランダを統治していたマルゲリート・ドートリッシュ、ザクセン公ジャン・ジョルジュ三世の皇女、19世紀アメリカの白ひげ女ミセス・リンカーンとペンシルヴァニア生まれのジョリー・ヴァオラなどがひげ女の歴史に残っている。