フランスのヒゲ女

19世紀の後半頃、フランス ロレーヌ地方のThaon-les-Vosgesという町にクレモンティーヌ・デュレという女がいて、カフェを経営していた。
ある日、カーニバルでひげ女の見せ物を見たクレモンティーヌは、わたしだったらもっと立派なひげが生やせると言い、それはないと答えた夫のポールと500フランの賭けをした。
二週間後、クレモンティーヌはこうなっていた。

男物の服だと男にしか見えない!

クレモンティーヌは名物女となり、カフェは繁盛した。カフェの名前も「ヒゲ女のカフェ」に変えて、肖像写真も販売し、人気と尊敬を集めた。出馬もしていない市長選挙で市民たちがクレモンティーヌの名前を書いて投票するほどの人気ぶりだったという。

ひげ女の起源は、ポンペイ美術館に残っているフラスコ画にまでさかのぼる。
1493年のシュロニック・ド・ニュールンベールのひげ女、16世紀オランダを統治していたマルゲリート・ドートリッシュ、ザクセン公ジャン・ジョルジュ三世の皇女、19世紀アメリカの白ひげ女ミセス・リンカーンとペンシルヴァニア生まれのジョリー・ヴァオラなどがひげ女の歴史に残っている。