化石とことば

今月末にベルリンのサイコジオフィジックス系イベント、「結晶世界」に参加することをある友達に話していたら、
「結晶とサイコジオグラフィーは関係ないんじゃない」と言われた。たしかにこじつけっぽくもあるけど、例えば、地質を調べれば大昔のことが分かるし、土壌の成分がその土地の食文化と関わったり、ヨーロッパ建築は昔から石造だから町が変われば町並みの色合いも違ったり、まったく関係ないわけじゃない。それに、もし私たちがスクラップから取り出した結晶が数千年後に発見されたら、「21世紀の人はこういうバカバカしいことをしていたんだなあ」といったような考古学的資料にもなりうる。とにかく、私は地質学や鉱物についてあまり知らないので、行く前にいろいろ調べてみることにした。

思ったとおり、地質学に関する日本語のHPには、学者からアマチュアのものまで資料がたくさんそろっている。
私がおもしろいと思ったのが、「北海道化石物語」というHP。http://sites.google.com/site/palaeonthokkaido/home
地質学について調べたかったのに、目次の「ナキウサギ裁判」というのが目を引いて、読みはじめてしまった。
簡単に言えば、一連の記事はナキウサギの学名命名の歴史をたどっており、素人にはちょっとややこしい話も含まれるが、学名がなんでそんなに重要かというと、“「その生物が,生物全体の中でどのような位置づけにあるのか」ということを示すため”と言うことらしい。
北海道に生息する「エゾナキウサギ」に関する論文は、1930年に二人の学者によってほとんど同時に発表されており、一方は和名「ナキウサギ」、他方は「ハツカウサギ」を用いていた。最終的に「ナキウサギ」が採用されたが、北海道の開拓民はその前から「ゴンボネズミ」と呼んでいたし、先住民のアイヌももちろんナキウサギの存在を知っていただろう。どう呼ぼうとどうでもいいのだけれど、こういう経緯が後世に調べられるのは論文が残っているからで、実証主義がいかに重要かという結論にいたる。
アフリカには文字がなかったので古代文明がなかったことにされているし、去年あたりに南米の古代文字が発見されて歴史が塗り直されたが、これらは自分たちで何でも記録にとっておかないかぎり歴史なんてものはすぐになかったことにされてしまう好例だ。

話がだいぶ地質学からそれているが、化石とか貝塚の貝のようなものは、記録に残されなかった古代の歴史を教えてくれる。
ことばも似たようなところがある。
柳田国男と同時代の沖縄の言語学者兼民俗学者 伊波普猷(いはふゆう)は、「南島古代の葬制」でこう書いている。
「風葬がひとり南島の古俗であったばかりでなく、日本本土の古俗でもあったことは、国語で葬送のことをハフリといっているのがいい証拠である」
埋もれたものを見つけるのもサイコジオグラフィーの手法のひとつだから、結晶に焦点をあてても別にいいんじゃないかな、やっぱり。

古琉球 (岩波文庫)

古琉球 (岩波文庫)

10年くらい前にチベットの草原でナキウサギを何度も見かけたことを思い出した。