けもの道とカルチャー

ウィキペディアの「けもの道」の項目が面白いので、引用する。

“獣道の成因と特徴
森林の中を移動する大型哺乳類は、やみくもに森林内を行き来するのではなく、それなりにコースを決めて移動する。これは大型哺乳類にとって、移動しやすい場所、移動経路として向いている場所がある一方で、逆に移動しにくい場所、移動経路として向かない場所もあるからである。そのようなところは地面が多少とも踏み固められ、低木の小枝は折られ、足下の下草は喰われて短くなったり、踏みつけられて枯れたりするので、獣道は肉眼でも見つけられる。さらに、大型哺乳類に種子を付着させて分布を広げる戦略を取っている植物や、大型哺乳類に果実を食べさせ中にある種子を運ばせる戦略を取っている植物や、踏まれることに強い構造を持った植物など、何らかの特徴を持った植物が、獣道沿いに分布を広げているケースもある。なお、この中で、果実の種子が運ばれた場合、獣道沿いに餌場ができるので、これにより、ますます経路が固定化しているとの指摘もある。

なお、ヒトが作った林道をほかの動物が利用することもあるように、使用する道が一致する場合もある。しかし、動物の種類によって使用する道が一致しない場合もある。ニホンカモシカの獣道は、往々にして断崖絶壁に向かい、ヒトには通りにくいので、「カモシカの道はたどるな」と言われるのが、使用する道が一致しない例である。”

「けもの道」をパリの通りにあてはめるというサイコジオグラフィーの手法を使えば、また何か新たな町の側面が浮かんできそうな気がする。または、文化にあてはめてみてもどうだろう。
すぐに頭に浮かんだのは、ソニックユース。若い頃に聞いていたカルチャーのごった煮みたいなこのバンドから、アヴァンギャルドやノイズ音楽、フィリップ・ディックやハリー・クルーズなどのアメリカ文化の袋小路に誘われていったのを思い出す。

日本の歴史にもこういう「けもの道」的な人物がたびたび登場している。
たとえば、平安中期の花山天皇は、変人だったけど、創造的な才能に恵まれていて、絵画・建築・和歌、そして独創的な庭園を作って周囲の人々を刺激していたし、西国三十三箇所巡礼や熊野詣でを確立したのも彼で、後世に遺した遺産は大きい。
もっと近代では、江戸中期の博物学者 平賀源内がいる。
日本における本草学・植物学、機械学・電気学(エレキテルの発明)、鉱山開発技術の先駆者であり、蘭学者の杉田玄白らに重要な影響を与え、また人形浄瑠璃や戯作の開祖でもあり、鈴木春信をして江戸錦絵を誕生せしめ、浮世絵の発展に一役買った。そればかりではなく、源内は我が国初のコピーライターでもあり、その作品の内のひとつ「本日土用丑の日(どようのうしのひ)」は、現代でも一般的に用いられている。

花山天皇や平賀源内のような人の種子のようなものがそこから遠くに運ばれてまた別の時代に花開くのだからおもしろいものである。