パリ植物園 ”それでも地球は回ってる”

子供の頃、地動説を唱えたガリレオ・ガリレイが有罪判決を受けて、教会の権威によって地動説を捨てることを誓わされた話を聞いて、「ローマ教皇ってひどい。ガリレオがかわいそう」と思っていた。
ガリレオは火あぶりにならずに済んだが、ジョルダーノ・ブルーノの方は地動説擁護で処刑された。
当時、海外進出をすすめていたヨーロッパでは、科学技術は必然的に発達するさだめにあったし、人々もそれを望んでいた。そして、カトリック教会は科学の発展を妨げる迷惑な存在だった。教会の権威をふりはらって近代科学へと進んで行くイギリス、オランダ、ドイツの一部と、教会およびハプスブルグ勢力との戦いはフランセス・イエイツの「薔薇十字の覚醒・隠されたヨーロッパ精神史」に詳しく書かれていてとてもおもしろい。

フランスっていうのは、たいてい最初の内はどっちつかずの態度をとっておいて、最終的に有利な側につくという戦法をとる国なのだが、この時もやっぱりぐずぐずしていた。当時のフランス国王は、プロテスタントとカトリックの争いを治めてくれそうなアンリ三世だったのだけど、その内に彼が暗殺されてしまい、国内のカトリック勢力が権力を掌握し、結果として客観的な近代科学の道とは袂を分かつことになってしまう。この時代の各国の選択は現在のその国のあり方にも余韻を残していて、一般的にプロテスタント諸国が経済に強いのに比べて、カトリック諸国はやや劣勢。フランスにとっては大きな運命の分かれ道だったのかも知れない。

1660年、「言葉によらず(聖書、教会、古典などの権威に頼らず証拠(実験・観測)を持って事実を確定していく)」をモットーにしたイギリスの王立科学アカデミーがロンドンに設立される。
フランス人はいったいどんな気持ちでこれを眺めていたんだろう。フランスで起きたプロテスタントの虐殺(サン・バルテルミの虐殺)に一役買ったと信じられているカトリーヌ・ド・メディシスのことを今でもフランス人が災いの元と見なしているところを見ると、やっぱり罠にかけられたと感じていた気がする。

パリ5区にあるパリ植物園は、パリにある施設の中では少し変わっている。
言葉で説明するのは難しいが、フランスの施設としてはちょっとふざけているのである。日本にはふざけた施設がたくさんあるので、日本人の目からすればパリ植物園はそれほどふざけて映らないかも知れないが、フランスの基準からすると絶対ふざけている、とかねてから私は思っていた。
ふざけている、と言っても何かを馬鹿にしているとかそういうことではなくて、教会の権威に媚びない率直さが光っているのだ。こういうのに触れるたびに、教会のような権威の存在しなかった日本はほんとに恵まれていたんだなと実感できる。

アウシュテルリッツ駅側の入り口には恐竜

アポカリプティックな装飾


パリ植物園の謎(?)を紐解くために、その歴史をウィキペディアで調べてみる。
もともとは王立薬草園で、1640年に公開されている。植物園に関わった人々について調べてみると・・やっぱり!!!!


パリ植物園の後見人 ジャン=バティスト・ラマルク(博物学者)・・チャールズ・ダーウィンの「種の起源」に影響を与える初期の進化論を唱えていた。さらに、「フランス革命が起こると熱烈に歓迎し、自ら貴族の称号を捨てる」

1739年に庭園管理官に任命されたビュフォン(博物学者)・・天地創造を否定する太陽起源説を提唱。ノアの洪水も否定していた。

ビュフォンと交流のあったヴォルテール (作家)・・摂政オルレアン公フィリップ二世をからかって投獄されたことで今でも人気がある。その後イギリスに亡命し、ニュートンやジョン・ロックに影響を受ける。1750年にプロセイン公フリードリヒ2世を訪問、その後も文通を続ける。

フリードリヒ2世・・フランスからユグノー教徒(プロテスタント)の移民を多く受け入れた。後に7年戦争でオーストリア(カトリック)と戦い、破れる。

庭園管理官 ジャン・バティスト・コルベール(政治家)・・パリ天文台やガルニエ宮・科学アカデミー(現在のフランス学士院)の設立にも関わった。

まとめると、パリ植物園は17-8世紀の真実の探求者というか、教会から見れば反抗的な科学者と思想家が集まって作り上げた施設、ということになる。あんなにのどかな場所にもこんなに濃密な歴史がつまっていることがおもしろい。

ノアの方舟状態

フィナボッチ数列

薔薇十字の覚醒―隠されたヨーロッパ精神史

薔薇十字の覚醒―隠されたヨーロッパ精神史