ペールラシェーズ墓地の歩き方

ジム・モリソンの墓で観光名所になっているペールラシェーズ墓地を訪れた。


サイコジオグラフィーの定義を思い出してみよう。
ギー・ドゥボールいわく、サイコジオグラフィーとは「地理的環境が意識的であれ無意識的であれ人間の感情と行動に与える法則と効果の研究」あるいは、「歩行者をいつもの道から外れるように誘い、町の風景の見方を変えさせてしまうような遊び心と独創性に満ちた町の探索方法がいっぱいつまったおもちゃ箱」。

今回の探索の目的は、手作りのゴースト・ディテクター(お化け探知機)をレコーダーにつなげてペールラシェーズ墓地で録音すること。

正門から5分ぐらいの区域で、墓石にコケの生えた由緒ありそうな墓を見つけて録音を開始する。

そこへ年配の男性が通りかかり、私たちの様子をおもしろそうに眺めている。話しかけてみると、ペールラシェーズ墓地のアマチュアマニアの方だった。イギリス人の元エンジニアで、定年退職後に趣味でペールラシェーズのことを調べはじめ、特にペールラシェーズ墓地に眠る19世紀の女性たちを専門としているとのこと。
彼が(無料で)案内役をかってくれた。

まず最初に見たのは、Marie Anne Lenormand (1772-1843)の墓。
革命時代に生きた占星術師で、ルノルマン・カードという名のタロットカードを考案した女性。
彼女の霊は墓地でたびたび目撃され、「ペールラシェーズの精霊」とも呼ばれているそう。現在もファンクラブが存在するほどの人気で、墓前にはたくさんの花やタロットカードが捧げられていた。

 

 ルノルマン・カード 

次に見たのは、Henriette Caillaux (1874-1943)の墓。当時のフランスの財務大臣 Joseph Caillaux の妻で、夫の評判を守るために彼にたいする厳しい批判記事を発表しようとしていたフィガロ編集長を銃殺した19世紀の女性殺人者。

その次は、マリー・ダグー (Marie d'Agoult) (1805-76)
フランツ・リストの愛人で、ワーグナーの妻となったコジマの母。墓に記されているのは、作家としてのペンネーム「ダニエル・ステルン」。
コジマ・ワーグナーは、私の好きなニーチェがこう称賛している。「私が自分と同等の人間であると認めている唯一の場合が存在する。私はそれを深い感謝の念を籠めて告白する。コージマ・ワーグナー夫人は比類ないまでに最高の高貴な天性の持ち主である。」(Wikipediaより)
その母親の墓に案内してもらえて感謝。

さらにいろんな19世紀の女性の墓へ足を伸ばす。

Mathilde de Morny (1863-1944)
作家コレットの同性愛の愛人

マリア・ヴァレフスカ Maria Wakewska (1786-1817)
ナポレオン一世の愛人。日本の世界史の授業ではジョセフィーヌばかりが取りざたされたが、どうやらあれは作り話で、本命はこのポーランド人のマリアだったらしい。

ヴィルジニア・オルドイーニ(1837-1899)
ナポレオン三世の愛妾でサルディーニャ(イタリア)の宰相がフランスに送り込んだスパイ。

クレオ・ド・メロード (1875-1966)
オーストリア出身のバレリーナ。クリムトやベルギー国王と交流があった。


火葬場のそばまで来た時、突然、墓の中から二人組のフランス人男性が現れ、私たちの案内役に話しかけてきた。もしやと思ったらやっぱり、この人たちもペールラシェーズマニア。
「きのうロシア国内でしか知られていないロシア人の女優が埋葬されたんだけど知ってる?」などとマニアックな会話が繰り広げられる。
そのまま進んで、コインロッカーみたいな簡易式の墓に行き、イサドラ・ダンカンや「星の王子様」の作者サン=テグジュペリの友人夫妻(星の王子様は彼らに献辞されている)の永眠所を案内してもらうと閉苑時間がきてツアーは終了。

なかなかいい人に出会った。